小学生時代トラウマとなった今でも思い出したくない恐怖の文集事件
子供の頃のトラウマ
それは人によって沢山あると
思います。
それって思い出したくない
こともありますよね。
当時はとても嫌でショックで
学校行きたくなくて最悪でした。
大人になってもあまり人に言ったことが
ないのですが…。
そんな貴重な話をネタにしてしまった。(笑)
あれは小学校3年か4年のころ
髪が伸びてくると
髪を切りに行くのですが
小さい頃は母から
切ってもらっていました。
で、それも卒業となり
外で姉と一緒に姉妹で
髪を切りに行くのですが
それが、3軒先くらいに
床屋さんがあって
そして近所付き合いもあるので
そこへ。
母はいつもお願いするときに
「似合うようにお願いしま〜す」
とニッコリ笑って退散します。
が、しか〜し私と姉は内心ヒヤヒヤしながら
髪を切り終わるまで落ち着かないのです。
髪型は当時流行りのおかっぱ頭です。
似合うも何もおかっぱなのに(笑)
でっでですよ〜。
ここからが問題で
床屋さんなせいか
いつも髪を短く切られるのが
恐怖で…。
2人とも髪あまり切らないで欲しいと
言えば良いのに、おとなしいうちらは
なかなか言えず…。
いや、言ったかもしれません。
言ったかもしれません。
床屋さんていつも短髪になれているので
短くしてしまう?のかな〜と。
そして、確か
この事件から恐らく
私たち姉妹の要望で
憧れの「美容院」という名の
お店に行くことになったんだと思います。
で、話が脱線しましたが
いつものように
髪を切ってもらって
ん?ん?なんだか後ろがかなり
短く切られた気が…と
思った時にはもう遅くて
2人ともカリアゲ的に
短くなってしまっていました。
姉と一緒に鏡を何度も何度も見て
そのたんびにため息が…。
そして、姉からの撃沈な一言が
「私はまだ良いけど
あんたの方が短いよね。」と…。
私が沈黙して敢えてふれなかった
のにのにのにーーーーー!!
とても認めたくなかった事を言われて…
一人とおーーーくに船が行って
沈没してしまった感じで撃沈でした。
そして、何より怖かったのが学校…。
休むことは絶対許す母ではないので
行かなきゃいけない。ということに
とても憂鬱でした。
でも、いくら嫌でもその日は
やって来るわけで…。
そして、勇気を出して
初日行きました。
今でも褒めてあげたい。
自分で自分を!
やはり思った通り
特に男子からからかいの言葉が…
女子からは慰めの言葉や可愛いと
なかには言ってくれた子も。
昔の事だけど
今でも覚えている当時のこと。
そして、恐怖の学級文集が
できでしまう。
それは「かりあげ文集」という名の題名。
まさに私のことである。
この題名で女子対男子で
討論が繰り広げられたのであ〜る。
まさしく
女子「〇〇さん(私のこと)の
ことをかりあげと言うのはー…」的な
それに反論する男子。
で、それを聞いている私は内心。
担任の先生は、可笑しくて
笑っていたような…。
周りで何度も何度も
「かりあげ、かりあげ、かりあげ…」と
聞きたくない言葉が飛び交う。
討論会に「もう、勝手にしてくれー」と
なるのでした。
結局、かなり繰り広げられた
女子の反対意見は悲しくも通らず
「かりあげ文集」という文集は
嫌味のようなイラスト付きで
沢山刷られて私の手元にも
やって来るのでした。
確かぐちゃぐちゃにして
捨ててしまったと思います。
そして、私の髪が伸びるまで
カリアゲという言葉が
消えることはなかったと…。
少しでも長い姉の髪の毛が
うらやましかったな~。
で、さらにその時に
流行ったのは「カリッシュ」
という言葉も!!
それはカリアゲしたところが
毛布みたいで触り心地が良くて
男子が私のカリアゲを
手で触りながら
「カリッシュ!!」と
言っていくのです。
当時はとても笑い話なんて
とんでもなく、やっと今頃になって
笑い話にできたという
とんでもない話です。
—————————————————-
下記は全て、税抜価格になります。
●新メニュー
『バナー広告5,000円(税抜)で
お作りします!』
が加わりました!
詳しくはこちらを。
イラスト、チラシなど承ります。